三重県桑名市で毎年5月4日・5日に行われる多度祭りの中核をなす上げ馬神事は、馬と騎手が急峻な坂を駆け上がる勇壮な行事です。南北朝時代に始まり、織田信長の兵火により中断、その後復興されたこの伝統は、三重県の無形民俗文化財に指定され、今もなお多くの人々を魅了しています。この記事では、多度祭りの歴史や上げ馬神事の意味、見どころから現代の課題までを詳しく解説します。
多度祭り 歴史 上げ馬神事の起源と変遷
多度大社で行われる上げ馬神事は、南北朝時代の暦応年間(1338~1341年)にその起源をもち、武家豪族や氏子が馬を奉納し、神様に敬意を表する行事として始まったと伝えられています。馬を急な坂や絶壁に挑ませることで、その年の天候や農作の豊凶を占う信仰と結びついており、古代から地域の暮らしに密着していました。織田信長の時代には兵火により神社が焼失し、祭礼の記録も失われたものの、その後、桑名藩主の支援で復興され、現在のような形式が定められていきました。
復興の中心にあったのは、慶長期を始めとする時代の大名や藩主であり、特に桑名城主となった人物の動きが伝統の継承に大きく寄与しています。御厨制度と呼ばれる氏子組織が整備され、氏子地域による奉納・参加が明文化されていきました。寛政期(1794年)に記された大祭御神事規式簿には、当時の儀式の進行や騎手の役割、上げ馬の順序など、現在とほぼ同じ構成が記されています。これらの歴史的文書・制度が、現在の祭礼としての一貫性と伝統性を担保しています。
南北朝時代からのはじまり
上げ馬神事の起源は、南北朝時代の暦応年間にさかのぼります。このころ、地域を治めていた武家が氏子とともに神様に馬を献上し、急な坂を登らせる儀礼を行ったことが始まりです。実際の始まりの記録は織田信長の兵火で焼失したため古文書は残っていませんが、口承や後世の文書によってその伝統が語り継がれてきました。
馬が坂を駆け上がる行為は、農業社会において豊作を祈願する象徴であり、馬の健やかさ、騎手の技量、そして地域の結束が試される場ともなっていました。これらは単なる競技ではなく、信仰と生活の融合した神事であったことが伺えます。
織田信長による中断と藩主による復興
元亀2年(1571年)、織田信長の長島攻めの際に多度大社は兵火に遭い、社殿だけでなく祭礼の記録である社記も散逸しました。そのため起源の詳細は不明な部分が多くあります。しかし、慶長期に桑名城主となった本多忠勝らによって社殿の再建とともに祭りも再興され、御厨という氏子地区が定められ、祭礼の仕組みが整備されていきます。
藩主の保護のもとで奉納品や神輿が整えられ、氏子の参加意識が高まり、地域の文化としての地位が確立されていきました。以来、世代を越えて祭りが継承され、形は多少の改変を経ながらも本質的な儀礼としての上げ馬神事は維持されてきています。
無形民俗文化財としての指定と継承の現在
上げ馬神事は昭和53年に三重県の無形民俗文化財に指定されました。この指定は、神事が持つ儀礼的価値、地域社会における通過儀礼としての役割、古式を保ち続ける姿勢が公的に認められたことを意味しています。現在は氏子組織が3地区となるなど、人口動態の変化を受けて構成が見直されつつあります。
また、神事の安全性・動物福祉の観点からも改善の動きが進んでおり、主催者は馬の飼育管理・参加馬の扱いに慎重を期し、地域住民との協議のうえで実施主体や運営方法の見直しを図っています。これにより伝統行事としての魅力と共に、現代の規範に沿った祭礼としての責任が重視されています。
上げ馬神事とは何か:伝統・意義・構造
上げ馬神事は、多度祭りの中でも最も注目される神賑行事です。馬と騎手が急坂を猛然と駆け上がり、最後に約2メートル余の絶壁を乗り越えることができるかどうかで、その年の農作や景気の吉凶を占う伝統の儀式です。騎手は少年・青年期の地域代表が務め、神児という児童も参加して祭りを彩ります。敬虔な信仰・地域の誇り・成長の儀礼といった多様な意味が重なっています。
走る坂の斜度や壁の高さは観る者に迫力を与え、騎手の服装や馬の装備、神事開始のスタイルには古式が保たれています。たとえば騎手は伝統衣装を着用し、乗り込み・馬場乗り・坂壊しなどの儀式的過程を経て坂へ向かいます。吉凶占いとしては、馬が上がる数やどの地区が「花馬」として最初に駆け上がるかなどが重要視されます。
騎手と神児の選定方式
騎手および神児は神占(しんせん)と呼ばれる占いによって選ばれます。騎手は6地区から各1名ずつ、神児は別に肱江地区などから選出されます。騎手に選ばれた人物は乗馬の技術だけでなく精神的・身体的な清浄を重んじ、祭り前は精進生活や練習に励みます。
騎手になった後は騎乗練習が行われ、祭りが近づくと斎宿と呼ばれる場所で清浄な生活を送ります。こうした過程は、騎手自身が地域の若者として大きな責任と誇りを持つ通過儀礼であり、地域全体で支える精神構造が感じられます。
神事と豊凶占いとしての意味
坂を上がる馬の数や上りの成功具合、どの地域の馬が先頭を務めるかなどが、その年の稲作・天候・地域の景気などを占う指標とされてきました。たとえば、成功が多ければ豊作、最初に上がった地域の馬がその年の作柄を象徴するとみなされます。また、近年は景気や地域の運勢を願う人々にも広く注目されるようになっています。
社会組織としての御厨制度
御厨とは氏子地域を指す制度で、かつては7地区があったとされますが、近年人口減少や少子高齢化の影響で3地区に再編されています。各地区から騎手を出し、順番に「花馬」となる地区があげ馬を最初に行うなど、地区間の輪番制が取り決められています。
この制度は地域の絆を強め、馬事を通じて地区間の連帯感が育まれています。祭礼の運営も御厨地区ごとの負担と協力によって成り立っており、地域社会そのものの維持に寄与する重要な要素です。
上げ馬神事の開催と安全・動物福祉への配慮
上げ馬神事は年々注目が高まり、多くの見物客が訪れる祭礼となりましたが、安全性と動物福祉の観点からさまざまな課題が浮上しています。令和5年の神事では馬が骨折し、その後殺処分となる事故が発生し、多数の苦情が県教委に寄せられました。それを受けて、改善策や制度の見直しが進み、安全環境の整備・参加馬の負担軽減・実施主体の明確化などが強く求められました。
主催する神社と御厨総代会は、安全確保を担う馬場取締役や監視委員などの役割を明確化し、進行役と連携して神事の運営体制を改善しています。最新の神事ではこれらの改善策が実施され、人馬ともに怪我をすることなく、動物愛護に反する行為も確認されなかったと報告されています。
令和5年の事故と勧告
令和5年5月の神事において、馬1頭が脚を骨折し、その後殺処分される事故がありました。この出来事は地域だけでなく広く社会的な問題として受け止められ、多くの苦情が県教育委員会に寄せられています。これをふまえて、県教育委員会は神社に対し動物愛護法の遵守・安全環境の整備・実施主体の明確化などを盛り込んだ勧告を行いました。
改善措置と令和6年の神事の変化
改善措置としては、馬への威嚇行為を根絶する・馬の脚への負荷を軽減する安全基準の見直し・参列者と運営側の協力体制の強化などが挙げられます。令和6年5月の上げ馬神事では、こうした改善が適用され、人馬ともに怪我がなく、動物虐待にあたるとされる行為もなかったと報告されています。運営側は祭礼の伝統を保ちつつも、現代の倫理に即した運営を目指しています。
見どころ:上げ馬神事の迫力と参加・観覧ポイント
上げ馬神事は観客にとって視覚と心を打つ行事です。馬が急な斜面を駆け上がり、最後に高さ約2メートルの絶壁を乗り越えようとする姿は圧巻です。古式の装束を身に着けた騎手の姿や神児を先頭にした神聖な行列など、祭り全体の荘厳さも大きな魅力です。見物の際には、開始前の準備から終わるまでのプロセスを追うことで、神事の重みや地域の思いをより深く感じることができます。
当日の流れは乗込み・馬場乗り・坂壊しなどの儀式的な準備から始まり、神児迎え式、花馬のスタート、地区ごとの上げ馬、本祭の神輿渡御、流鏑馬神事などが続きます。それぞれに伝統の型がありますので、祭礼行列の動きや装束の変化を観察することで祭り全体の構造が見えてきます。
開催日程と場所
多度祭りの上げ馬神事は、毎年5月4日と5日に多度大社の例祭として執り行われます。4日は前日祭として複数回の上げ馬を、5日は本祭として祈祷や神輿の渡御を含む神事が行われます。神社の馬場にある坂は非常に急で、観客席や見学場所を検討する際には安全で見通しのよい場所を確保することが重要です。
騎手衣装・馬場・坂の特性
騎手は4日には陣笠裃姿、5日には花笠武者姿という古式の装束を纏います。馬場乗りや坂壊しなど、馬と騎手の動きが見える部分では衣装の細部にも注目できます。坂は平均斜度約30度ともいわれ、最後の絶壁部分は高さにして約2メートル余りあり、馬の脚力と走破力を試される難所です。
見物のコツと参加体験
見物する際には、神事の開始前から訪れて神児迎え式や騎手の準備を見学することで祭の雰囲気がつかめます。祭り当日は混雑が予想されるため、交通アクセスと宿泊の手配も早めが望ましいです。また写真撮影や観覧マナーを守ること、安全管理のルールに従うことが重要です。
現代における課題と地域での取り組み
伝統的な文化行事として長く続いてきた上げ馬神事ですが、近年は動物福祉・安全性・運営体制に関する課題が浮き彫りになっています。馬の死亡・怪我の報告や、見物客から安全への不安、参加する氏子側の負担などが指摘され、県や神社側が対策を迫られています。これらの課題に対して、文化的価値を守りつつ現代の基準に合った運営への転換が急務となっています。
主な取り組みとして、馬の扱いに関する動物愛護法の遵守、安全環境整備、監視委員等の設置、実施主体の明確化などが進みました。県教育委員会からの勧告に応じ、神社側は苦情や事故への調査と報告を行い、令和6年の神事では人馬ともに怪我が無く実施されたことが確認されています。今後も地域住民・氏子・専門家が協力し、伝統の尊重と動物福祉の両立が図られていく見込みです。
動物福祉の観点からの改善
馬が威嚇される行為や脚部の強い負荷をかける構造が問題視され、これまでの神事において何頭かの馬が怪我を負い、最悪の場合には殺処分となったケースもありました。これを受け、馬の飼育管理や坂・馬場の状態、調教方法の見直しが図られ、馬にとってより安全な環境づくりが進められています。
運営体制と総代会などの組織構築
神社・御厨総代会・地域住民との間で神事の責任分担が明確化されつつあります。馬場取締役や監視委員などの役割が具体的に定められ、事故防止と神事本来の品格を保つ監督体制が強まりました。参加者への指導や作法の教育も重視され、祭礼に対する理解と尊重を地域で共有する動きが見られています。
多度祭りの周辺情報とアクセス
多度大社は北伊勢大神宮とも呼ばれ、雄略天皇期の5世紀後半に社殿が建てられたとされる古社です。本宮には天津彦根命、別宮には天目一箇命を祀り、伊勢の神宮の祭神とも縁が深い社格を持ちます。多度祭りはこの古社の例祭として、流鏑馬(やぶさめ)神事などと共に地域文化を象徴する祭礼です。
アクセスは公共交通機関・自動車とも利用しやすく、例祭期間中は周辺道路の混雑が予想されます。宿泊施設も近隣に用意されていますので、遠方から訪れる場合は早めの予約が望ましいです。見物客向けの案内や祭り当日の注意事項も整備されており、初めて訪れる人でも伝統文化と祭の醍醐味を体験しやすくなっています。
まとめ
多度祭りの上げ馬神事は、約700年の歴史を持ち、騎手と馬が急坂を駆け上がる迫力ある伝統行事です。南北朝時代に起源をもち、織田信長の兵火による中断を経て藩主の手で復興され、現在まで継承されてきました。氏子制度や御厨制度など地域共同体との関わりが深く、農業の豊凶や景気を占う信仰的意味合いを備えています。
同時に、動物福祉や安全法規との整合性、運営体制の透明性など、現代社会の基準を満たすことが求められており、令和5年以降は改善措置が取られ、令和6年の神事では人馬ともに怪我なく実施されました。伝統を尊重しつつも、時代に合った運営がなされつつあります。
見物する際は騎手の準備や衣装、儀式の流れ、本祭当日の神輿渡御など全体を通じて祭の意味を感じながら訪れると、ただの観光以上の感動が得られるでしょう。上げ馬神事は伝統・信仰・地域の誇りがひとつとなった祭礼であり、その迫力と歴史の重みを直接体感する価値があります。
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